背伸びのままで。

良い話題があった時に更新します。

分かりやすい資料は、理解されにくいのでは?説

ソーシャルメディアで「すごいプレゼン」がよくシェアされています。

そういう資料を見るとすごい読みやすいんです。でも、次の朝にはほとんど忘れてしまっています。

たとえば、この人のスライドは、「すごい勉強になりそうだし、むっちゃ読みやすいなー」と感じながら読むけれど、次の日には「その読みやすい資料の人の資料」以外の印象が残らないのです。

Takaaki Umada, Evangelist | SlideShare

 

一方で、分かりにくくて、理解するのに苦労したものは結構記憶に残っています。すごい俗な例なのですが、英語の曜日のTuesday/ThursdayとかSaturday/SundayよりもWednesdayの方が先に正確に覚えませんでしたか?

Wednesdayのスペルは複雑ですが、違和感があり過ぎて先に正確に覚えてしまったのです。

※ちなみに、この記事書くときにThursdayは心配でググりました

※※そしてスペルが間違っていることに気づきました

 

しかし、「この感覚は自分だけのものではないか」という疑念もあったので、いくつか調査や研究を漁ってみたところ、意外と自分の読みは正しいものではないかという考えに至りました。

 

プリンストン大学の研究によると、「理解しやすいように工夫すれば、学びにつながりやすい」という気がするけれど、実際は理解し難いものの方が情報の処理は深くなり、効果的な学びを生み出すそうです。

Many education researchers and practitioners believe that reducing extraneous cognitive load is always beneficial for the learner. In other words, if a student has a relatively easy time learning a new lesson or concept, both the student and instructor are likely to label the session as successful.

(中略)

There is strong theoretical justification to believe that disfluency could lead to improved retention and classroom performance. Disfluency has been shown to lead people to process information more deeply, more abstractly, more carefully, and yield better comprehension, all of which are critical to effective learning.

The Educational Value of Ugly Fonts - Ideas Market - WSJ

 

また、これは調査に基づいているものではありませんが、有名な(はず)デザインのホームページに、長文だと疲れにくい書体としてゴシック体よりも明朝体が薦められています。

スライドやポスターならばともかく、レジュメやレポート、企画書、報告書などの資料では、ときに、数行、数十行に及ぶ長い文章を書くことがあります。このような長い文章には、「細い書体」が向いています。太いフォントで長い文章を書くと紙面が黒々してしまうので、可読性が下がります。一般に、明朝体はゴシック体に比べて細い書体なので、長い文章には明朝体が適切です。英語であれば、サンセリフ書体よりも、セリフ体の方が長文に向いています(可読性に優れている)。新聞や論文のように、長い文章には、「明朝体」や「セリフ書体」を使った方が、読み手にストレスを与えません。

書体の選び方|伝わるデザイン

 

 一方で、ある研究では、ゴシック体のほうが明朝体よりも理解度は高かったようです。

文字フォントとフォントサイズの影響を調べるために,表示メディアごとに文字フォントとフォントサイズを要因とする二元配置分散分析を行った.その結果,すべての表示メディアにおいて,フォントの要因が優位であった(数値略).いずれも,ゴシック体が明朝体に比べて理解度が高かった.

CiNii 論文 -  文章の表示メディアと表示形式が文章理解に与える影響

 ※ぼくはこの論文が明朝体で書かれているというところが大好きです

 

違う切り口の研究も紹介してみましょう。

読むスピードに関しては、電子書籍の方が早いという研究があります。

アーネスト・ヘミングウェイの短編小説を読むのにかかった時間は、iPad電子書籍コンテンツを読む方が印刷媒体に比べて6.2%長く、Kindle 2は10.7%長かった。
(中略)
また読書後に各形態の満足度を7段階で訪ねたところ、iPad(満足度5.8)が最も高く、Kindle(同5.7)と書籍(同5.6)が僅差で続いた。最も敬遠されたのはパソコンのモニター(同3.6)だった。

ニュース - iPadやKindleでの読書スピード、印刷本より時間がかかる:ITpro

 

しかし、理解度に関しては、紙のほうが理解を促すそうです。

その結果、DMのメディアとしての特性や他のメディアと比べた優位性など、これまで実証されなかったことが脳の生体反応レベルで判明しました。なかでも、同じ情報であっても紙媒体(反射光)とディスプレー(透過光)では脳は全く違う反応を示し、特に脳内の情報を理解しようとする箇所(前頭前皮質)の反応は紙媒体の方が強く、ディスプレーよりも紙媒体の方が情報を理解させるのに優れていることや、DMは連続的に同じテーマで送った方が深く理解してもらえることなどが確認されました。

「紙媒体の方がディスプレーより理解できる」 ダイレクトメールに関する脳科学実験で確認|ニュースリリース:2013年|トッパン・フォームズ株式会社

  

他にも何個か研究結果を調べたのですが、日本語の場合、(特に長文で)読みやすいのは明朝体、理解度が高いのはゴシック体が多いような印象でした。

 

「読みやすい資料」「読みやすい文章」を求められることは多いですが、理解させることが目的の場合はあえて読みにくい資料/文章を作るということも有効かもしれません。良く言えば、あえて「引っ掛かり」を作ると、理解が深まるかもしれないということです。

 

ただし、理解できていても、読者の満足度が低くなる可能性があるので、もし仕事などで活用するときは理解度を指標にしておくなどの工夫をしておくように、意識した方が良いかと思います。

 

ということで、分かりにくい文章でしたが、きっとその分理解はできたと思うので、苦情は受け付けません。分からなければ読みなおしてね(はーと)

検証する時間を持てない。待てない。

スタンフォードPh.D出身の人が作っている、いわゆる「脳トレ」ゲームLumosityに効果が認められないということで罰金処分がなされたようです。

「脳力トレーニング」の効果が認められずサービス提供企業に約2億円の罰金処分が下される - GIGAZINE

 

ぼくは、Lumosityを続けることで情報処理の速度、精度の改善や、新しい処理方法を身に付けるなど、一定の効果を実感していました。いま以下の動画程度の作業はできるようになりましたし、ゲームプレイヤーの中で上位0.6%程度のレベルまで記録を伸ばしました。※僕がアップした動画ではありません

www.youtube.com

一方で、日本の脳トレゲームにおいて、効果への批判があることを知っていたので、「自分はゲームに最適化していっているだけではないか」という疑念も持っていました。

そもそも、ぼくは「スタンフォード認知心理学Ph.D取った人が作っているから効果があるのだろうな」と信じて、課金してこのゲームを始めました。

このようなニュースが出て少し残念な気持ちになりましたが、事前に自分で効果が検証できたかというとそれは不可能ですし、「この連邦委員会の判断を信じるべきなのか」という疑問も持っていて、今後それを拭うことはできないでしょう。

また、検証の精度に程度があることも知っています。今回の自分の判断は、エビデンスレベルに照らし合わせると、信頼度が最低レベルのエビデンスに基づいた判断だったことも分かっています。

f:id:mittz:20160108090714p:plain

エビデンスレベル分類・推奨グレード分類 | 一般社団法人 日本肝臓学会より抜粋

https://www.jsh.or.jp/liver/PDF/evidence_level.pdf

ただ、一個人が周囲の出来事に対して、上記のレベル5以上の検証を課すのは不可能ですし、これからも専門分野は専門家を信じてレベル6の判断をする程度しか自分にはできないでしょう。

検証はできなくても、タバコは健康リスクが高いという学会共通認識は引き続き信じますし、運動は思考や気分にも良い影響を与えるというただの専門家の意見も信じます。

ただ、どこの業界も善人ばかりではないですし、不本意にも周囲プレッシャーなどによって結論を捻じ曲げてしまうことはあるでしょうから、STAP 細胞問題のような信頼を裏切るような話が尽きることも無いでしょう。

検証の精度の必要性は分かっています。でも、自分で検証はできません。検証を待つ時間はありません。間違っているかもしれません。自分が今まで積み上げてきたからこその、ただのこだわりかもしれません。でも何かを信じて続けるしかありません。



…と、ここまでブログを書いたところでこの記事に出会いました。

「根拠なき脳トレゲーム」の顛末は、200万ドルの和解金支払いへ « WIRED.jp

和解文書には、Lumos Labs社は同社製品について、「ターナー症候群、心的外傷後ストレス障害PTSD)、注意欠陥・多動性障害(ADHD)、外傷性脳損傷(TBI)、脳卒中あるいは化学療法の副作用など、健康状態が原因で起こる認知機能障害を軽減する」と主張することはできない、とも書かれている。

この件は、病気を治すなどと書いたのが問題だったようです。

いずれにせよ、ぼくは今後出会う様々な情報をいちいち丁寧に検証することは諦めてやっていくつもりです。Lumosityも続けようと思います。

でも、今後、GIGAZINE情報の信頼度だけは3レベルぐらい下げておこうと思います。

人付き合いとZMOT

昨日、発信することで良いことがあると書いたのですが、関連して最近感じる自己紹介の形について書こうと思います。

結論から言うと、今では人と会う前から自己紹介が始まっているということです。
ブログや書籍を持っていなくてもFacebookやLinkedInを通して人の情報や主張、ステータスがある程度分かるようになっています。
コミュニケーションを取る前から、相手が話したいトピックや興味の対象の予想がつくということも珍しくはありません。
実際に採用活動に携わる人の多くがWeb上の行動や情報を観察しているでしょうし、普段の生活でも「あの人がFacebookで言ってたけど…」みたいな会話もよくあります。
もし多くの人がこれを実践しているとすると、購買行動以外でもZMOT(Zero Moment of Truth)の重要度が上がっているということだと思います。

smmlab.jp

つまり、会う前から、話す前から、意思決定されているということです。
話す前に、相手の最近の様子を見て話のトピックを決めていくとか、逆にWebで発信を見つけて事足りたとか、Webで攻撃的すぎて会うのをやめたとかいうことは、ごく現実的な話だと思います。
発信する側としては、「この程度しか考えてないのか」と思われる可能性もあるけれど、いちいち自己紹介しなくて済むというメリットを得られることもあります。
といった風に、人付き合いは、会う前から決まっていることも少なくない、ということを最近よく感じるようになりました。
 
要するに、ZMOTってカッコいい響きなので言いたかっただけです。

発信することの恩恵を地味に受けているなと最近思います。

昔からSNS上で発言が多い人ではあるのですが、最近はお客さん以外とはだいたいFacebookで繋がってしまっていて、普段の他愛もない考えや、記事の紹介や、ブログも含めて見られるようになってきました。

ぼくの発信に対しては、いいね!もシェアもコメントも大してされないのですが、予想の10倍以上の人に見られているような実感があります。

Facebookで繋がっている人と会うと、だいたいぼくの投稿の話をしてくれるんですよね。で、ぼくも話題探しを対してしなくて良いので、会話の糸口探しをしなくて済む。

初対面が苦手なぼくにとって、この恩恵は非常に大きいのです。

しかも、自分のポストは少なくとも自分の興味があることなので、話を深堀りできるし、相手が触れてくれるということは、相手にとってもいくらか興味がある分野だとも言えるわけです。

そうなると、ちょっとぐらい自分が暴走しても相手は聞いてくれるし、不快にならないんですよね。一方で、相手がなにか考えを持っているときは、こっちも受容できる状態なので話が盛り上がります。

さっきも書いたようにいいね!もシェアもコメントもされていないので、これは自分で頻繁に発信している人や、Facebookページを実際に運用しながらフォロワーの人と話をしたりしてみないとなかなか実感できないことだとも思います。やるのとやらないのでは全然違う。

そもそも、最近はほとんどの投稿にリンクがついていて、リンク見終わった後にわざわざいいね!することなんて余程のことがないとやらないですよね。そう考えると、投稿へのいいね!をKPIにするのって、あんまり現実的じゃないのも実感できます。しかし、実感できる立場じゃないと実感できないことだとも思うんですよね。

自分で触った人じゃないと、計測できることしか評価できないし、その溝が埋まらない限り、投稿へのいいね!数とかがいつまでもKPIとして置かれ続けるのは避けられない気がします。

だんだん脱線してきたし、飲んで書いているので久しぶりの記事はこの辺で。とにかく、発信する側の感覚は、発信しない側の感覚と全然違いそうだ、という話でした。特にインターネットに限った話ではないのですが。

IPA:情報処理技術者試験を受けました。

昨日、IPA 独立行政法人 情報処理推進機構:情報処理技術者試験を受けました。

普段、IT企業の方と仕事をすることが多いのですが、自分の知識がかなり偏っていると分かっていたので、抜けている部分を埋めるべく、ITの基礎的な試験の勉強を始めようと思ったのが、受験のきっかけでした。

 

マークシート式の試験で、余程のミスがない限り合格はしたとは思うのですが、勉強や試験を通して色々考えることがあったので考えを残しておきたいと思います。

 

社外との共通言語が獲得できた(気がする)

試験会場には、学生らしき人から年配の方まで様々な受験者が沢山いました。

ぜんぜん違う所属でも同じ内容を勉強し、毎年2万人以上の人たちが、一定の水準以上の知識を得ています。(受験人数:統計情報|基本情報技術者試験.com)

 

趣味も嗜好も全然違いそうな人たちでしたが、普段同じ業界では働いていない彼らともし仕事することになっても、お互い通用するような共通言語のようなものを得られたような気がします。

 

試験の特性上、一般性の高い内容で、シラバスが106ページに至るほど範囲が広い(「基本情報技術者試験(レベル2)」シラバス(Ver 3.0)(PDF))ため、普段の業務で得られた狭い知識や経験がどれほど、一般的なのか、どのような考えに基づいているのか、どう他の業界と繋がっているのか、ということも振り返られて良い機会になりました。

同時に、自分のスキルや経験は局所的にしか使えないのではないかと不安がいくらか解消したことは良かったです。

IT系で働いているわけではないので、自社内では全く役に立たない可能性も大なのですが。

 

合格点は「許される下限」でしかない

今回のテストはマークシート式の試験でした。自分で回答を覚えていなくても良く、選択肢は与えられます。

 

この試験に合格することはリスニング、リーディングの試験に合格することと同じで、資格を持っていたからといって、知識を自分で自在に使えるわけではありません。

 

「それぐらい知っていればまぁ話はできるだろう」という指標になるようなもので、ITの基本の基本に関して、話を聞ける土台に立てた程度のことだと思います。

 

しかも、この試験は合格点が6割で、逆に言うと4割は間違えられます。資格取得しても、即「何かを完璧に分かった」「何かができるようになる」というような類のものではないということがよく分かりました。

ぼくは未だ何もできる気がしません。

 

(この記事が当該資格取得についてバランスよく説明していると思います:エンジニアに「資格試験」って意味あるの? | サイボウズ式)

 

試験対策に集中すると、逆に勉強の足りなさを実感する

どのような試験もある程度傾向と対策があり、市販の対策問題集を使えば、ある程度試験に受かるための勉強はできます。

 

一方で、試験範囲はシラバスが106ページもある(前掲リンク)非常に広いものであるため、試験対策だけを考えると到底全てはカバーできないということも実感します。

 

合格点を取っても4割の内容は理解できていないのです。また、この資格を取得しても、さらに上位の試験が10種類も存在しています(IPA 独立行政法人 情報処理推進機構:情報処理技術者試験制度:試験区分一覧)。

 

試験を通してある程度の知識は得ることができた気はしますが、その知識をきっかけとして、縦にも横にも学びの余地が膨大に広がっていることを実感せざるをえませんでした。

 

試験を通して、ITのことを少し学びましたが、学んだからこそ「ITのことを知っている」なんて間違っても言えなくなりました。他の分野でも言えることですが、学んだことにある分野に関しての方が、自信を持って堂々と語ることが難しいものなのだと思います。

ただ単に、学び方が足りないだけなのかもしれません。足りないのは確かなのですが。

 

参考:試験勉強に使った資料

・公式HP

IPA 独立行政法人 情報処理推進機構:情報処理技術者試験

試験範囲や用語の定義は先に抑えておいたほうが良いです。

 

Kindle
情報処理教科書 けんた先生と受ける基本情報技術者試験

情報処理教科書 けんた先生と受ける基本情報技術者試験

 

試験対策本は重いので、Kindleは重宝しました。ジムでエアロバイク漕ぎながら読むには、この本が易しくて良かったです。

 

2012 基本情報技術者 午後問題の重点対策 (情報処理技術者試験対策書)

2012 基本情報技術者 午後問題の重点対策 (情報処理技術者試験対策書)

 

古いのですが、Kindle本の中でも午後試験対策で割としっかり解説していますし、評価も高いです。全部は読んでいませんが、重点的に少し進んだ知識をつけておきたいところはこれで学びました。

 

・紙の書籍

 Kindle本は一覧性が無いので、1つは紙の書籍を持っておくのが良いと思います。スキマ時間に全体をパラパラ眺めるためにこの本を使いました。自分が分かりやすいと思う書き方の本を選べば良いと思います。

 

かんたん合格 基本情報技術者教科書 平成27年度 (Tettei Kouryaku JOHO SHORI)

かんたん合格 基本情報技術者教科書 平成27年度 (Tettei Kouryaku JOHO SHORI)

 

過去問は必須かと思います。Kindleもありますが、本番は紙の問題冊子なので、紙のものを買いました。 この本固有に良かったと思うところは特に無いですが、もし解答用紙もついたものがあるならそっちのほうが良い気がします。

 

・とはいえ

国語と数学がある程度できればそれだけで4割ぐらい取れる気もします。逆に言うと、ITの仕事でも国語と数学が肝要ということなのかもしれません。

 

 

色々書きましたが

これで試験に受かってなかったら、これ以上恥ずかしいことは、なかなか無いですね。

数えてみると、具体的でおそろしかった

あと人生残り何時間だとか何日だとかいう風に考えてもあんまり実感が湧かないんですが、ふと、身の回りの色んな回数を数えてみたら、考え方が変わりました。

あと、回数の話だけだと退屈だったので、関連してそうでしてないようなリンクもペタペタ貼りつけました。

 

人と合う回数

毎日たくさんの人とすれ違っていて、家族や職場の人など毎日会う様な人とは何十回も何百回も会っていることになりますが、定期的に会うことのない人たちと会うときに、「死ぬまでにこの人とあと何回会えるんだろう」と考えるようになりました。会いたいか会いたくないかは関係なく、不定期に合う人で死ぬまでに10回は会うだろうな、となんとなく自信があるのは、オリタくんとクワバラくんぐらいな気がしています。逆に、仲良く話したり遊ぶような人でも、よくよく考えてみたら10回以上会っている人って意外と少ないと思います。
そういうことに気付いてから、これはシンガーのよういんひょくくんが言っていたことだと思うのですが、「この人と会うのはこれで会うのが最期かもしれない」という感覚がよく分かるようになりました。それからは前よりも遠慮が少なくなったような気がします。

 

季節を過ごす回数

子どもと季節行事を楽しんでいる時に、死ぬまでに自分はだいたいあと50回ぐらいしかこの季節を過ごすことはできないし、親離れ・子離れが早いと、あと15回ぐらいしか子どもと過ごせなくなるのだろうなと考えるようになりました。冬をあと50回過ごすぐらいなら冬寒くないところに住みたいなぁ、とかも考えます。「あと何年」とか考えてもなにも感じないのですが、「親と過ごす正月はあと半々ぐらいの確率で20回無いかもしれない」とか考えると少しドキッとします。

いつの間にか四季のことを分かっているような心地がしていても、まだ30回ぐらいしか経験していないんですね。それぐらいしか経験していないのに、何を偉そうに、と感じます。

 

 

スマートフォンを起動している回数

一日に何十回、何百回とスマートフォンを起動しています。その中で大半が特に何の目的もなかったり、特に何の情報も得られないで終わります。情報の回転数が多いものに触れれば触れるほど、無駄な確認を行ってしまう回数が増えてしまいます。時には役立つ情報に出逢う可能性もありますが、役立たなかった行為の回数を考えると、相当に無駄なことをしているなぁと感じてしまいます。懐かしさを蘇らせるだけのスキャンダルなんか気にしたって何の楽しみにもならないのは知っているのに。

あと、絶対この調査の起動回数ウソだろ。

■年末年始、10代の平均的なスマホ起動回数は6.5回で、祝日・休日を下回る

年末年始における、10代の1日あたりの平均的なスマートフォン起動回数は6.5回で、12月の年末年始の時期になる前の休日・祝日の平均的な起動回数7.2回(2014年12月度調査)を下回りました。一方、20代は年末年始6.1回に対して休日・祝日の平均起動回数は5.9回、30代は6.8回に対して6.1回と、年末年始の方が平均起動回数が多い傾向にありました。

年末年始のメディア接触時間は、「テレビ」が「スマートフォン」を抜き、トップ|株式会社ジャストシステムのプレスリリース 

 

寝る回数

軽く10,000回ぐらいは睡眠を取ったことになるでしょうか。いやー、よく10,000回も目覚められたなぁと思います。意識がなくなる状態に10,000回も移行して、あんな無防備でなんの反応もできない状態から10,000回も生き残れるなんて感慨深いです。


人生において「起きる回数」と「寝る回数」って、どっちが多いのですか? - Yahoo!知恵袋

 

音楽を聞ける回数

これはitunesで再生回数が出るようになったころから気付いていたことなんですが、いくら好きな曲でも、1日ずっと繰り返し聞いても5分の曲なら300回も聞けないんですよね。ものすごく好きな柴田淳の曲を、寝ている時も起きている時もリピートし続けていたのに再生回数が3日で500も行かなかったことは衝撃でした。回数を知って、「儚いなぁ」とかなり強く思いました。100回以上歌ったことのある歌ってそう無いんじゃないでしょうか。映像作品なども同じで、Youtubeなどデジタルなプラットフォームができてから、その作品の長さも可視化されるようになりました。その結果、あと何回見れるかというのを概算してしまい、その少なさに愕然とするようになりました。

JUN SHIBATA official website - 柴田淳オフィシャルウェブサイト

 

無駄にいい格好しようとする回数

いい格好しようとして、大した利益も享受できないことが一日に一度はある気がします。大した成果も得られないのに頑張った経験は、いやに記憶に残るので厄介です。もうこれくらいで止めればいいのに、回数の話を始めてしまったがために、アイデアも枯渇しているのに、いい格好しようともっと探そうとしてしまう自分に嫌気が差します。

ええかっこしい - 日本語俗語辞書

 

まとめ

大事なことって意外と少ない回数しか経験できないし、くだらないことって意外と多くやってしまっていることに気づきました。最期に脱線してしまいますが、色々数えてみて、天文学的な数字は苦手だと再認識しました。聞いた瞬間に圧倒されて感情が追いつかなくなります。ついでに天文もおそろしくて苦手です。星も宇宙も地球も、ちょっと怖い。

「インフルエンザの可能性が高い」 ~インフォームド・コンセントって難しい~

このたび「インフルエンザの可能性が高い」と診断されましたので、出勤できない状況を自分で選びました。

 

診断内容としては、以下のようなものでした。

・検査は陰性

・症状から見るに8割がたインフルエンザだ

・発症日を考慮すると、まだ検査にかからない段階の可能性は高い

 

その上で以下の2択の判断を仰がれました。

A) インフルエンザだと判断して、インフルエンザの治療を進める

B) 経過観察して、翌日か翌々日に再度検査し、その結果に合わせて治療する

 

インフォームド・コンセントって難しいなぁ」と感じたので、インフォームド・コンセントに関する情報を探し、分かりやすいインタビューは以下で見つけました。

「インフォームド・コンセントの現状と課題」北里大学 客員教授 唄孝一氏(医療安全推進者ネットワーク - 医療安全推進者ネットワーク)

 

ただ、ここには記述されていない点で、今回気になる部分がいくつかあったので、今回はそれをまとめたいと思います。

 

知識の差がある

そもそも、患者は前提知識も無いですし、検査結果も正確には知らされません。検査の表示やプロセスを知っても、理解できません。

判断の材料が少ない中、短時間で意思決定をすることは非常に難しいと言えます。

 

正確に確率をとらえられない

今回、自分に与えられた選択肢は、「8割がたの可能性を信じてすぐ動く」か、「2割の部分が分かるまで待つ」、という2択になります。

しかし、8割でも2割でも、心理的に50:50の決断に近い。確率を感覚的に数字通りに認識できないのです。そんななか、自己責任で診断を選ぶというのは非常に難しいと思いました。

もっというと「8割がた」という医師の表現は8割を指すかどうかも怪しいものです。「9割がた」よりは低そうですが、数字に正確な意味はないかもしれません。

 

利害をふまえた判断が必要

私は関係者に感染することを避けてA)を選びました。

一方で、インフルエンザで休んだ場合、多くの会社では有給を使って5日間強制的に休暇を与えられます。

(正確には、季節性のインフルエンザだと補助が出る可能性があります(参考:労使問題Q&A | 社会保険労務士法人 すずき事務所)が、今回はその診断が出来る前の段階で判断をしないといけない状況です)

 

言い換えると、他で使えるはずだった休みを強制的に5日間使われることになります。それが嫌な人は、病気を隠して出勤することもあるわけです。

インフルエンザで出勤してくる同僚 - BIGLOBEなんでも相談室

今回の場合では、2日間出勤し、季節性だという診断をもらえれば、5日間の休みを有給休暇を消費せずに獲得できるわけです。

A)を選んだ自分も、急遽休みを取ることになるので、引き継ぎや連絡をすることになります。つまり、有給中を消化しながらいくらか仕事をすることになります。迷惑をかけているし仕方ないと思いつつも、「有給になるなら、ちゃんと休みたい」という考えはよぎってしまいまうので、隠れて出勤する気持ちも分からないでもないです。

 

関係者へ説明する難しさ

情報が乏しいにせよ、自分で決断した以上、影響を与える関係者には自分で説明しなくてはいけなくなります。

「お医者さんがインフルエンザと診断したので、(仕方なく)休みます。」ではなく、「インフルエンザの可能性が高いと診断されたので、(自分の判断で)休みます」という説明をしなければなりません。

会社の風土や、職場での関係性によって、これもまた判断へ影響を与えるかと思います。説明自体がしにくい立場かもしれませんし、組織内で通りやすい説明に判断が引っ張られる可能性もあるでしょう。

会社への確認が取れない状況(診察中)で判断しなければいけないのは、また判断を難しくする要素だと思います。

 

まとめ

インフォームド・コンセントがあることで、医学的見地だけでなく、その人々の状況や考え方を反映した判断ができることはメリットだと思いますが、状況を踏まえて患者側が判断しなければいけないということは、難しいことであるとも感じます。

 

「この確率が6:4だったら?」「問題なく治る:再起不能=19:1だったら?」「自分が組織で崖っぷちの立場だったら?」「もしこの病気がもっと長期治療が必要なものだったら?」「自分の有給が全く無かったら?」と想像すると、自分ではもっと決断に時間を要したと思います。

 

場合によっては、インフォームド・コンセント拒否権(「もう先生の思うとおりにしますから」権)とかあってもいいのでは、と思いましたが、それもまた手続きとか問題がたくさん出てきて難しいのでしょうね。

 

そもそも怪我や病気の時は大変な状況になるのは当たり前なのかもしれないけれど、そういう状況だからこそできるだけ楽したいと思ってしまいます。

 

まとまりもないですが、療養中なのでこのへんで。